お世話になります。ヨーロッパ女子ひとり旅専門家のカジヤマシオリです。
10月から(新型コロナウイルスの影響ではなく)ひとりで過ごすおうち時間がながーくなって、
ヨーロッパにも行けなくて。
ヨーロッパひとり旅をとおして、知りたいと思っていたのが、
ヨーロッパでの第二次世界大戦中のことやユダヤ教徒迫害の歴史。
ハンガリーの旅でシナゴーグ(ユダヤ教徒の教会)に通ったこともありますが、
いろんな国で、いろんな文化や歴史に触れたからだと思います。
今は増えた時間を使って、本や映画をあさりまくっています。
アンネの日記を読破するところから始まり、結構いろんな本や映画に触れました。
その中から、今回は
「隣人ヒトラー あるユダヤ人少年の回想」
を紹介します。
目次
「隣人ヒトラー あるユダヤ人少年の回想」について
著者は、エドガー・フォイヒトヴァンガーというイギリスの歴史家。
出版当時、94歳。戦時中に暮らしていたドイツ・ミュンヘンで迫害を受け、1939年にイギリスへ移住したという経歴を持ちます。
そして、両親とミュンヘンで暮らしていた家は、偶然にもヒトラーの家の真向かいでした。
ヒトラーとすれ違ったことや、ヒトラーの家の前で支持者が集まっていたことなど、隣人ならではの記憶があります。
もちろん、歴史的事件が起きたときの様子も覚えています。世界大恐慌の後のこと、ヒトラーが首相になったときのことも。その後、周りの環境がどんどん変わっていったこと…
ちなみにエドガーのおじ・リオンは小説家。
ヒトラーに関する著書も。
ベストセラーとなった「ユダヤ人ジュース」は有名です。
(あのヒトラーの「我が闘争」と同時期に出版され、1、2を争っていたとか)
エドガーによる回想は、ヒトラーが独裁者となる前後の記憶。
子どものときの視点のまま、伝えています。エドガーが5歳のころから、イギリスに移住する15歳までの約10年にわたる記憶。
隣人として記憶しているヒトラーのことはもちろんのこと、彼の暮らしや学校でのこと、周りの人のこともです。
しかし彼は小説家ではないので、仲良くなったフランス人ジャーナリストが彼の語り下ろしをまとめたという経緯が。
ほぼノンフィクションなんですが、読者が当時の時代背景や政治、社会を身近に感じられるよう少々潤色されています。
隣人・エドガーにとっての「ヒトラー」。対面したエピソードも
この回想はエドガーが5歳の頃、1929年からはじまります。
お父さんは本や新聞の編集者として忙しく働き、お母さんはときどきピアノを弾いたりしてくれて、キリスト教徒のやさしいお手伝いさんもいました。
それなりに裕福で、あたたかくて幸せな家庭ですね。
エドガーにとって、その当時のヒトラーは「誰なんだろう」という感じです。
何をやっているのか、どんな人なのかは理解していません。
まだ迫害も身近には感じられず、お手伝いさんも「(ユダヤ人もそうでない人も)大して変わらないのよ。ただユダヤ人はイエス様の存在を信じてないってだけで…」と。
お手伝いさんはユダヤ教徒ではありませんでした。
お父さんとお母さん、リオンおじさんが話しているのをこっそり聴くのが好きだった幼少期。
その話の中で、ヒトラーがじきに国でいちばんえらくなって(=独裁者)、そうなればユダヤ人を殺すだろう、と。
エドガーは自分がユダヤ人だとすでに自覚しているため、それを聞いて涙があふれ出てくるという記述もあります。
まだ差し迫った危険はなくとも、周りはヒトラーが台頭することへの危惧はしているようです。
エドガーがヒトラーと対面したのはその1年後。6歳頃です。
自分のアパートのすぐそこで、目の前にはヒトラー。
お手伝いさんと一緒に歩いているときでした。ひげそりに失敗したような傷や碧い目、鼻毛や耳毛までヒトラーの顔を覚えています。写真で見るよりも小さかったと。
目を伏せなきゃいけないんだと分かってもできなかった。もちろんヒトラー側はエドガーが誰なのか、ご近所さんなのか分かっていません。
ヒトラーが台頭すれば自分たちユダヤ教徒は…とわかっているので、できたら自分や両親を嫌ってほしくないと思ったようです。
ご近所さんには違いないんだから、にっこりしたほうがいいかなとも考えています。
このときのヒトラーは首相でもないし、オーストリアやチェコスロバキアにも侵攻していません。ですが、ユダヤ人教徒の排除は考えています。
自分に危険が差し迫っていなかった時期、子どもの視点ですね。
その後も、対面したり会話したりすることはなくとも…
窓からヒトラーの家の灯りがついているのをこっそり見ていることはありました。
成長するにつれ、ヒトラーが何をしている人なのか判断がつくようになるのです。
エドガーを取り巻く環境の変化
ヒトラーが誰なのかよく理解していなかったエドガー。
時が経つにつれ、エドガーを取り囲む環境も変わるのが読み取れました。
お父さんは編集者、おじさんはベストセラー作家ということもあり、同時代の著名人との記憶もあちこちに。
1932年にはナチ党がドイツ国会の第1党になりました。その前後に、エドガーも新しい学校に通いはじめました。
前の学校の友達もいて、先生が大好きだと楽しそう。
それでも、ヒトラーの家の前にもSA(ナチスのテロ組織、突撃隊)が家の前に集まるようになったり、ヒトラーが首相にでもなったら、と周りもおびえたりしています。
1933年にはとうとう、ヒトラーが首相に…
ユダヤ教徒の立場がどんどん変わっていきます。ユダヤ教徒を追い詰めるような出来事も次々と…
両親も、別の国に逃げることを話し合いはじめますが、まだ現実的ではないと思っているみたい。学校でも、先生はヒトラーの話をたくさんするようになるし、エドガーもヒトラーの写真をノートに貼っていました。世界大恐慌のせいで、ママのお兄さんにあたるおじさんが別荘を売り、ドイツから出て行かざるを得なくなったことも…
ユダヤ教徒を迫害する動きが強まるにつれ、エドガーも友達から仲間はずれにされたり、シナゴーグに通うようになったりします。
「ユダヤ人は○○してはいけない」という法律も増え、お父さんは仕事がどんどんなくなり、大好きだったお手伝いさんもいなくなりました。
「ユダヤ人ジュース」がナチ党により発行禁止処分になったことを受け、リオンおじさんは1933年にフランスへ亡命しました。
子どもながらに自分のおかれている状況を自覚するようになり、エドガーはどんどん自分の世界にこもるようになります。
そのシナゴーグもナチ党の命令により取り壊されますが…
お母さんも「知らない人と話すな」と。アパートの大家さんや仲良しだったご近所さんとの交流もなくなりました。
ヒトラーの故郷のはずのオーストリア侵攻や、フランス・イギリスの首相がやってきたときのことも語られました。
ナチ党が侵攻や軍整備をちゃくちゃくと進めているのに、フランスやイギリスなどの大国はなぜ動かないんだ、とやきもきする両親。
そして、あくまでも迫害されているユダヤ教徒のことは眼中にないんだ、と絶望するのです。
1938年にはお父さんが収容所送りになり、お母さんとふたりでおびえながら暮らしていたところ、命からがらお父さんが戻ってきて国外への移住が真実味を帯びてきます。
エドガーの暮らしや出来事とあわせて、ヒトラーやナチス・ドイツ、ミュンヘンの街の移り変わりや事件もちゃんと書いてくれているので、順番に歴史が追えます。
ざっと振り返るとこんな感じですが、周りの人と話した記憶、目にしたもの、ひとりで考えた記憶が丁寧に描写してあり、当時の風景がよみがえるようです。
「隣人ヒトラー あるユダヤ人少年の回想」を読んで、
エドガーは子どもながらに、周りの変化をちゃんと覚えていていたことがわかります。
子どもの目線では、あのときのミュンヘンの街やユダヤ教徒の暮らしはこんな感じだったのか…と。
ユダヤ教徒だからという理由で学校では「いないもの」として扱われ、本人もどんどん自分の世界にこもるようになったのはつらかったと思います。
自分じゃどうにもできない問題ですし、両親のせいでもない。
幼い頃は、ヒトラーにユダヤ教徒の自分を嫌わないでと思ったのも、切実すぎて。誰にだって嫌われたくないのは当たり前だし。
移住前のエドガーの家は裕福だったようです。
バカンスにも行ってるし、おじさんの別荘におじゃましてるし、同じく裕福な友達の誕生日パーティーにも呼ばれてるし。お手伝いさんもいたしね。
しかし、だんだんとその生活にも陰りがさしていくのがわかりました。
エドガーがイギリスに移住できたのは1939年のこと。
あの時代を生き延びられなかったアンネ・フランクが日記をつけ始め、迫害を逃れ「隠れ家」へ潜んだのが1942年、収容所で息を引き取ったのが1945年。
ちょうど「ユダヤ人狩り」が本格化する直前に移住できたのも、その後イギリスで生き延びられたのも奇跡というか。
アンネの方は本格化するのを見越してドイツからオランダにやってきたけれど、そこでも迫害にあうという不運がありました。そう考えると、本当に、心が痛みます。
「ヒトラーの隣人目線」で追う、貴重な物語でした。
コメント