お世話になります。ヨーロッパ女子ひとり旅専門家のカジヤマシオリ(@Kindermer)です。
今日は、私が訪れたモルドバを、観光以外の面から考えてみたいと思います。
モルドバを訪れたときに、現地で英語通訳兼ガイドを頼んでいたビオレッタさんに、モルドバ国歌についてインタビューしてみました。
日本では「戦時中を連想させる」ため国歌が嫌いな人も多く、行事で歌わないことが一種の意志表示になるほどですが…
モルドバではそうではないらしいです。果たして、モルドバ人にとっての国歌とは?
目次
モルドバの国歌「我らが言葉」
モルドバの国歌どころか「モルドバって何だよ」って人が大半だと思います。
それに関しては当サイトの過去記事を読んでいただくか、ググるかすればわかることなので省略します。
(いちおう、東ヨーロッパの国です。ルーマニアとウクライナに挟まれ、ロシアの近くにあります)
まず、現在のモルドバの国歌は「我らが言葉」です。
言葉について歌った国歌ってめずらしいんじゃないでしょうか?
私は他に聞いたことがありません。
YouTubeで聞いてみると、とても美しい旋律に心が奪われます。
モルドバ人の芯の強さ、心の美しさを思い出させるよう。
歌詞はタイトル通り、モルドバ人の言葉について歌ったもの。
「我らの言語は、過去の淵から湧き出し宝物」と、言葉を宝物に例えています。
日本の「君が代」とは明らかに異なるものです。
しかも歌詞が長い。12節もあるけど、普段は5節のみ歌うらしいです。
Wikipediaに一部歌詞の日本語訳が載っていたので、紹介します。
我等の言語は過去の淵から湧き出し宝物
宝石の鎖はいにしえの地に散らばったのだ
炎と燃ゆる我が言語は何も前触れもなく
伝説の勇者が如く死の眠りから目覚めたのだ
我等の言語は森の中で最も緑色の葉っぱ
ドニエストル川は穏やかに小波をたて
夜空の星は輝く
我等の言語は神聖なる言語
いにしえの訓戒の言語は
祖先より民の間で泣きながら歌われる
我等の言語は過去の淵から湧き出し宝物
宝石の鎖はいにしえの地に散らばったのだ
この日本語訳を読んで、 私は国と言葉に対する「誇り」や「神聖さ」を感じました。
せせらぎのように流れる旋律に酔いしれ、改めて、自分の国の言語について考えさせられました。
では「我らが言葉」を国歌にもつモルドバの人々は、
何を感じ、何を思っているのでしょうか?
私たちの言葉は、新たな発見です。
モルドバの公用語はルーマニア語ときどきロシア語です。
いちおうモルドバ語もありますが、ルーマニア語とは大差ありません。
モルドバの人たちは、自分たちの言語(ルーマニア語)に対して強い誇りを持っています。
なぜなら、モルドバは長い間旧ソ連を構成していた国家のひとつだったから。
1812年にベッサラビア地方としてロシアに併合されてから、独立宣言をしてみたりルーマニアの一部になったり、また旧ソ連に戻ったりと、他の国に翻弄されてきたのです。
旧ソ連の国となってから1991年に独立するまで、モルドバではロシア語が公用語でした。
モルドバの人々は、長い間自分たちの言語(=モルドバ語)を忘れ去っていたのです。
そんなモルドバの人たちにとって、ルーマニア語は新たな発見だとビオレッタさんは語っていました。
長らく封じこめてきた言語なので、思い出すというよりは発見に近いのです。
旧ソ連からの解放、自由への喜び
ビオレッタさんの話を聞いていて、「我らが言葉」は単純に言語のことだけを歌っているのではないんだとわかりました。
長らく支配されていた旧ソ連からの解放で、ルーマニア語という本来の言語を取り戻したモルドバ人。
自分たちの言語に対する誇りを歌うことで、自由への喜びを表現しているのです。
強制されていたものをやめ、自分たちがもともと持っていたものを堂々と使うこと。
それは、自由でないと実現できません。
今まで許されなかった自由を、国歌にすることで心からの喜びを表現しているように感じました。
旧ソ連の国だったことの名残からか、モルドバでは今もロシア語が通じます。
近代的な高層建築も、郊外の牧歌的な家々も、どこか旧ソ連の雰囲気がします。
独立してもなお、ロシア的な要素はなくなっていないと感じました。
それでも、モルドバの人々は独立を心から喜び、新たな国として前に進んでいるのです。
モルドバの国としての独立には「復活」「発見」「自由」…
訪れてみて、さまざまな意味を持っているのだなあと感じました。
そのうえで「我らが言葉」が国歌になっているのは、とても奥が深いことだと思うのです。
モルドバ在住の夫婦に国歌を歌ってもらったら…?
むろん、ビオレッタさんも国歌「我らが言語」を愛しています。
響きの美しさ、芯の強さに誇りを持っているのです。
旦那さんも、自分の国の国歌を愛しているといっていました。
「どんな風な歌なのか聞いてみたいから、歌ってみてくれない?」とお願いしてみたら、ふたりとも快く歌ってくれました。
旦那さまは教会の祭司さまなので、やはり上手い…!
許可をいただいたので、カジヤマシオリのYouTubeチャンネルで紹介させていただきました。
途中で「歌詞を忘れちゃったわ」と言うものの、日本の国歌みたいに1小節で終わるものじゃないんだから無理もない。
たぶん12節あるうちの1節と4節だけ歌ってくれてます。
やはり現地の人が歌っても美しく、車窓に流れる牧歌的なモルドバの風景に合うメロディ。
本当にすばらしい国歌なのだなあと実感しました。
ビオレッタさん自身も「(国歌嫌いだから)歌いたくないなあ」という感じはなかったし、むしろ喜んで!と。
歌ってもらったあと「シオリも日本の国歌、歌ってくれない?」と頼まれました。
私も日本の国歌が好きかと聞かれると「うーん」という感じですが、歌ってもらったんだから、頼みを聞かないわけにはいかない。
大学時代ぶりに国歌を歌ってみましたが、モルドバの国歌に秘められた生命力や歴史、美しさを知ると、「日本の国歌って何だろう…」と考えていました。
正直、歌詞の重みもよくわからない。
でも、歌詞の意味を知らず聞いたビオレッタさんや旦那さんは「日本の伝統的なメロディという感じがしてとても好きだわ。美しい」と言ってくれました。
日本国歌に嫌悪感を抱く日本人が多い、と伝えると「こんなに美しい歌なのに、理由がわからない」と言っていました。
確かに、意味や歴史的背景を知らずに旋律だけを聞けば、その理由は想像しづらいかもしれません。
正直、自分としては日本国歌にあまり関心もありませんし、深く考えたこともない。
これを機に「日本ってどんな国なんだろう?」「私にとっての日本国歌って?」と考えることとなりそうです。
まだ結論は出てませんが…(笑)
「我らが言葉」は奥が深い国歌
ここまで述べたのは、ビオレッタさんや旦那さんが述べた国歌に対する思い。
そして、彼らの言ったことや歌詞から感じた私の見解。
やはり第3者の私が語るだけでは薄っぺらい。美しい、だけでは表現しきれないものがある。
本当に奥が深い…
意味を考えるほどにモルドバ人の歴史や思いをひしひしと感じる。
赤の他人の私がこうなのだから、モルドバ人にとってはさらに重みがあるものなんだろう。
他の国の国歌もなにげ気になりはじめました。
国歌を知ることって、その国の歴史や国民性を知ることにもつながるのでしょうか。
次のヨーロッパ旅でも、その国の国歌について問いかけてみたいです。
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