【モルドバ】Ciniseuti(チニシェウツィ)村で、亡くなった兵士を弔う慰霊碑を訪れた

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モルドバ

お世話になります。ヨーロッパ女子ひとり旅専門家のカジヤマシオリ(@Kindermer)です。

まだモルドバで訪れた場所、紹介しきれてないので。
聖クセラウカ(Cuselauca)修道院から首都キシナウへ戻る途中。

ガイドをお願いしていたビオレッタさんが、車で通りすがりに案内してくれた場所のこと。

第二次世界大戦中、旧ソ連軍の兵士として亡くなった人たちの慰霊碑が、Ciniseuti(チニシェウツィ)村に。

1940年に、旧ソ連はモルドバ(ベッサラビア地域)を占領

その流れで、モルドバはモルダビア・ソビエト社会主義共和国となり、旧ソ連の構成国家に。

虐殺や飢饉でたくさんのモルドバ人が亡くなりました。第二次世界大戦終了後も、1991年の独立まで旧ソ連の国でした。

 

長距離ドライブのリフレッシュも兼ねて、見学してきました。

Ciniseuti村にある慰霊碑は、第二次世界大戦中の1941年~1945年に亡くなった兵士を弔うもの。

モルドバ国内のあちこちに、第二次世界大戦で亡くなったモルドバ人への慰霊碑があります。

小高い丘のうえにたどり着くまでの道に、あちこち慰霊碑やレリーフが。
ひとつずつ、どんな慰霊碑があるか見ていきましょう。

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歴史を物語る、ロシア語・ルーマニア語表記

入り口近くにあった看板。
同じくらいの大きさのものが、左右にひとつずつ置かれていました。

実はこれ、右側がロシア語で、左側がルーマニア語です。

旧ソ連時代は、モルドバ国内での第一言語はロシア語でした。

しかし1991年に独立したことで、第二次世界大戦中以来、約50年ぶりに本来話していたルーマニア語を、第一言語に取り戻すのです。

長らくロシア語を強いられてきたモルドバの人たちにとって、ルーマニア語は誇り。

独立したことへの喜びや、愛国心を表すものです。

【動画アリ】モルドバ人が国歌に誇りを持つ理由が深かった。
モルドバ在住の夫婦に、モルドバ国歌「我らが言葉」についてインタビューしました。彼らの国歌には、モルドバ人が辿った歴史や自由への喜びが込められていました。奥が深い、国歌についてのお話です。

モルドバ人の、自分たちの国歌に対する思いも、ぜひ読んでみて。

言語を取り戻すことは、すなわち、自分たちの国歌を手にすることでもあるから。

 

とはいえ、モルドバ国内では今もロシア語がよく通じます。

このようにロシア語とルーマニア語表記がされていることも、モルドバのたどってきた歴史なんだよなあ、としみじみと感じました。

モルドバ人兵士を弔う慰霊碑・レリーフ

もう少し歩いていくと…

「1941~1945年、第二次世界大戦で亡くなった兵士を弔う」という記念碑のそばに、赤い星が。この場所を説明するうえで大切なものです。

この赤い星、旧ソ連をはじめ共産主義国家の国旗・国章に使われていたもの

共産主義国家の秩序を表すんだとか。

そこの中心に献火して、亡くなった兵士の魂を弔います。

すぐそばには、旧ソ連側の兵士となったモルドバ人男性のレリーフ。

やりきれない感じというか、哀愁漂う感じがします。

とくに、周りに建物がないこともあって。

モルドバの大自然が、なおのことそうさせているような気が。

さらに、上のほうには亡くなった兵士の名前を刻んだレリーフが。

村ごとに名前をまとめて表記しています。

こちらはSaharna(サハルナ)村で亡くなった人のもの。チニシェウツィ村からは車で30分のところにある村です。

そんなに大きくない村から、こんなにたくさんの兵士が旧ソ連にとられたのか…

通路の両サイドに、レリーフがずらり。
ここに並んでるの、ぜんぶ亡くなった人。

第二次世界大戦中、こんなにたくさんの人が亡くなったのか…と驚愕でした。

振り返ると、モルドバの大自然。

このロケーションもあってか、なんだかノスタルジーな気持ちに。

レリーフに挟まれた通路を歩いていくと、たどり着く光景。

小高い丘の上に、戦車。たぶん、ここでいちばん目につくモニュメントです。

戦車の前にも、ロシア語・ルーマニア語で説明書きが。

とりあえず、戦車の近くまで行ってみる。

モルドバの大自然を見渡せる高さの上。そばには、大きな木。

現地の子どもたちが、戦車のそばを走り回ってました。

ビオレッタさんの娘・サビーナちゃんも例にもれず走り回る。

彼女はまだ3歳。ここがどんな場所なのかを知るのは、いつになるのかな。いやはや。

モルドバ滞在を、観光だけで終わらせたくないから

モルドバでは、「地球の歩き方」はもちろん、ネットで日本語の情報が載っていないような場所ばかりを訪れました。

明確な位置すらGoogleマップで特定できないような場所もあります。

チニシェウツィ村の慰霊碑もそう(帰国後、血眼になってGoogleマップで探したのに…)。

4日間ほどモルドバに滞在し、モルドバのことを好きになると同時に、もっと知りたいと思ったから。

歴史を肌で学ぶような場所も行きたい、とビオレッタさんに申し出ました。

モルドバの歴史が長らく周囲の国に左右されてきたことと同時に、そのことを胸に、モルドバの人々は新しい時代を歩みはじめているのを感じました。

悲しい歴史を弔う場所なのに、ものものしさやどんよりとした雰囲気が皆無なのが驚きでした。

まあ、でっかい戦車のモニュメントはあるけどね…(笑)

 

ただでさえ、モルドバを訪れる日本人は少ないんだから。

これからも、観光スポットだけでない、モルドバのあれこれを「キンダーメル」を通して紹介していきます。

ビオレッタさんたちと訪れたスポット、紹介しきれてないんですよ…

日本人がモルドバを訪れる前や、モルドバのことを知りたいとき、いちばん正確で参考になるサイトも目指して。

2019年も、少しずつ紹介していきますね。

【モルドバ】Hancu Monastery(修道院)を見学。国の歴史と生きた場所
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<チニシェウツィ(Ciniseuti)村 第二次世界大戦中に亡くなった兵士を弔う慰霊碑>

場所:Ciniseuti, Moldova
時間:24時間
料金:無料

慰霊碑のだいたいの場所の地図を。正確な場所ではありませんが…

近くにCiniseuti村のバス停があります。

大きな通りに面したところに、入り口がありますので、目印に。

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